2012-10-02

伝統音楽の美 ― 日中伝統の音を聴く ―

昨晩国立劇場に行ってきました。




皇太子ご夫妻も鑑賞されました。
http://bit.ly/WcmL0X

中国からの音楽団は諸事情により参加を取りやめになったということで、こういった事が芸術分野、特に中国との関わりが深い雅楽にまで及んでくるとは誠に残念なことです。


さて、僕が、宮内庁先生方の雅楽を生で聴きに行かせていただくのは約7年ぶりぐらいでした。今回一番感じたのはすごくー政治的状況が困難な中ーどの楽師も凛と奏されていたことです。音が舞台から一つになって、大きな”気”が鑑賞されている方々に届いているような感銘をうけました。


細かい点に移ると、管絃時の絃の技術というのはまだまだ民間には届きにくいものだと恐れ入ったものです。又、雅楽独特の”間”というのが楽部には楽部の形で残っていて、その点も他団体にはまだ追随し難いものだと感じました。これはただ単に拍子から拍子にかけてという意味だけではなく、体と楽器(若しくは音)との距離感も含めた”間”であります。音を遠くから眺めながら演奏をするといった技術でありましょうか。


特に驚いたのが抜頭の舞でした。僕はこの方(パンフレットによると大窪貞夫先生)の舞を初めて生で見させて頂いたと思うのですが、非常に―ぼくがここで感想を述べるのも烏滸がましいのですが、、いまさら―軸がしっかりしていて、何か一見非常に冷静に舞ってるように思われるが、内からはすごい感情が溢れ出してるような気もする、そんなものでした。手の裁き方も僕が今まで見たことのないような動きで見入ってしまいました。


また今日から僕も次のステップに向けて前進していきたいと思います。




2012-09-16

やっぱり大事なのは前向きに行くこと

昨年、USを出発して、約一ヶ月半ほど国外を、しかもほとんど外界の情報を収集することなく放浪してたから、東京に着いて、僕が携帯を購入後二日後にiphone4sがauからでるなど知らなかったから、その時は非常にショックだった。世間はスマホにどんどん移行していたというのに。

ということで今月14日には早速iphone5を予約しに行った。今のは二年契約であったが一年で打ち切り(数万円払わなければならない)、家族からは非難轟々であった‥





そんな事を書きたいのではない。この項はラベルが”読書”だ。

先日ラジオ版学問のススメを聞いていたら、村上先生がゲストで話が非常に興味深かったので購入した。

要旨は、あなたの眠っている良い遺伝子をONにしなさいということだ。それについて筆者の経験からその方法が具体的に述べられている。

一言で言うと今流行りのポジティブ思考だ。

内容を箇条書きで表してみると

・いい出会いで人生が変わる

・思い込むことが大きな仕事をさせる

・ピンチこそが成功の節目となる

・独創性

・早起きのすすめ

・人間いくつになっても才能を開花できる

などなど


ぶっちゃけこの手の本は今、巷に溢れかえっている。しかしこの本はそれが筆者の実際の体験から、科学的実証も含め実に”柔らかく”そして謙虚に描かれているということだ。

いくつか僕の印象に残った箇所を抜粋

生命の暗号より~

P30

「イキイキ、ワクワク」する生き方こそが、人生を成功に導いたり、幸せを感じるのに必要な遺伝子をONにしてくれる―というのが私の仮説なのです。

P39

いまから四十年ほど前に科学上のすごい発見がありました。「生きとし行けるものは、まったく同じ遺伝子暗号を使って生きている」という発見です。カビも大腸菌も植物も動物も人間も、みな等しく同じ原理を使って生きていることがわかったのです。(中略) 生物の基本単位は細胞ですが、細胞の働きは遺伝子によって決定され、遺伝子は同じ一つの原理ではたらいている。基本原理が同じということは、生物は間違いなく一つの細胞からはじまったと思われます。

P198

ヒトの遺伝子情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。これだけの生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。

村上先生はこれは誰かの仕業であると言う。そしてそれをサムシング・グレートと呼ぶ。

科学は進歩してゆくが、それに人間の精神というか判断が、追いつかなくなっていると氏は言う。そしてこれからの時代は科学と宗教が融合していかなければならないと。

本書の終盤は人間の生き方、心も持ち方などが話の中心になってきている。科学者が道徳を論じると妙に説得力がある。

僕は、これからの世界は科学と宗教の融合、それと人間の道楽の真髄である”芸術”もかぎをにぎっているのではないかと思う。

そして僕にも一つだけワクワク、ゾクゾクしてたまらないことがある。やはり笛の音質を練っていってる時間だ。最近は約二年単位で自分の成長が見えてくる。それがここ数ヶ月起こってきて、今までみえなかったものが実にクリアーに最近見え出している。今は正直活動はできていないが、数ヶ月後にはじわじわ動けてきそうな感じがする。

なんとなく、こんな僕でもできるんじゃないかと勘違いさせてくるれ本である。




2012-09-04

Insanely Simple


久しぶりに、本屋で本を買った。たいていはアマゾンからだから。

特に内容が気になってたものではなかったが、書店で、正直表紙が気に入ったから、そして丁度、今笛の稽古においては、余分なものを落とすというイメージを作ろうとしてたから、その点が合致して購入した。

本文からいくつか抜粋する。

人は年齢や宗教、文化、政治的信条に関係なく、シンプルさを好む。P15

スティーブが常々、アップルの製品はどれも本質まで削りこんでいて、完璧にデザインされていると自慢していた P76

それは商売の基本原則のひとつと考えるべきだーシンプルさは人を引きつける。P87

シンプルさが追い抜かれることはめったにない。 P113

ある問題を解決しようとして、最初に考え出した解決策がとても複雑だったとしよう。ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。だが、そこでやめずに考えつづけて、タマネギの皮をむくようにムダなものをそぎ落としていくと、とても洗練されたシンプルな解決策にたどり着くことがよくある。 P288

シンプル万歳 P305(最終行)

言いたいことはシンプルだな、とまとめてしまえばそれまでだが、そんな簡単なことではないのは明らかだ。余計なものを削り落として、本質を求めるなどと口でいうのは簡単だが、そもそも余計なものを含めたくさんの良質なアイデアを出すという作業も、複雑に考え抜いた後に出てくるものだと僕は思っている。

さて、笛について置き換えて考えてみると、シンプル、若しくは削っていくというイメージは、音そのものに働かせるというより、意識についての話だ。要するに吹奏時二つ以上の意識を働かせないことだ。音はある意味シンプルではだめだ。だが不必要な意識は非常識に削り落とす必要がある。

ってなんか久しぶりにこんなこと文章にしてみました。

今日はこれから以前作曲した曲を削りにかかってみようかな\(*⌒0⌒)♪

不思議な事に音が出だすと、フレーズがみえてくるんだな。




2012-08-25

ここ最近の事

まずは我が家の庭の”ひまわり”から。

数ヶ月前、母が突然庭にひまわりを植えてひまわりの油を取るなどといいだしたから、家族全員(現在数10人)総出で、庭を耕し、週末は草引きなどに追われた。

約一ヶ月後。

以外と綺麗にできるもんだ。。


ゴッホにでもなってみるか、、と思うが、まるで僕には絵心がない事を数秒後に悟る。



先週末は母の実家の新築祝いに行き、帰りに宮島に寄ってきた。


フェリーから~


やはり海にある鳥居は何やら、神々しい。


↑仲良し夫妻。


僕と親戚のジョン。ジョンはハワイ生まれのハワイ育ちで今は日本で日本語を勉強中。夏休みに我が家に遊びに来た。親父同士が従兄弟だから、ジョンとは又従兄弟かな。最近低下ぎみの英語でなにやら説明する僕。



とにかく暑い、暑い。。+前日の弟夫妻との酒。で少し疲れぎみ、というのが僕の笑顔がイマイチ冴えないいいわけ。


厳島神社は、雅楽をしてる人間としては一度は訪れたい場所であると思う。海の上で行われる雅楽は荘厳なものであろう。昔の人間はたいした事を思いつき、したものだといまさらながら感心する。

その後はもみじ饅頭をかじり、宮島といえば穴子めし!!妹がタクシーの運転手さんに聞いて噂の店へ行ったらなんと一時間待ち。こりゃ待っとれんと思ってた矢先になんとこの方。


さかなくん 汗だくの(^^;




ロケ中で、しかも入ろうとした店を間違えたらしく、やり直しの場面。がんばれ^^

我々一家はもちろん、昼飯に一時間待ちなどする根性を誰ひとりとして持ち合わせてないから、近くの店に入り穴子めしを食した。以外と、いや、かなりうまかった。


なんとなく小学生の日記になってしまったが、ここ最近の出来事でした。。



ちゃんちゃん(*´∀`*)





2012-08-22

以前から”読書”というラベルを作りたかった。念願がかなった。もちろんそんな大それたものではないが。

ますはこれから。




最近読んだ、なかなかの本だ。

昭和20年8月15日、敗戦の知らせを陸軍中将”根本博”は玉音放送にて知る。陛下の命令により日本軍は武装解除を行わければないが根本は、在留邦人4万人を日本に返すため、武器を捨てずに戦う。

その時に力を貸してくれたのが、蒋介石だ。

戦後、その恩に報いるがためだけに、台湾に密航し蒋介石の右腕になりその島を死守する。

自らの全てを捨てて、恩義のためだけに台湾へ向かった根本博の人生が鋭く、濃く描かれている。

”一つ”だけのために生きる。

”一つ”だけのために。

英霊に合掌。




2012-08-16

わたしと小鳥とすずと

今、金子みすゞの詩がどうも心に引っかかり書いてみました。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやく走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あのなるすずはわたしのように
たくさんなうたはしらないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


解釈は色々あろうが、今の僕が感じたことは、

“登り方は色々あるんだな”


何かが動きそうで動かなそうな、そんな最近です。


2012-05-29

雅楽一手一つ

雅楽一手一つという演奏会が先日あり、韻舎の一員として出演させていただいた。韻舎というのは天理大学雅楽部2002年度卒業以降のOB,OGによって2006年に結成されたものらしいが実は僕はその存在をあまり知らなかった。で、年代としてはそのメンバーになっていたので、今回お誘いを頂き始めて参加させていただいた。

何よりも何年もあっていない仲間にあえてそれがすごくうれしかった。

写真は韻舎のFBから引っ張ってきました。

曲は散手です。舞人はM氏。非常に力強く、何かを伝えようとする意志がひしひしと伝わってきました。




届かぬながら、僕が一番年寄りだったため、笛の音頭を務めさせてもらった。横にも後ろにも僕よりうまい笛吹きはたくさんいるのだが、、、

隣はS師という一つ後輩の笛吹きだった。横で一緒にするのは10年ぶりくらいで何とも感慨深いものがあった。

演奏はともかく打ち上げも、かなりはっちゃけた。。。



これはまだ皆集まってなく、最初の乾杯。この後ぞくぞくと。

三件はしごして寝たのは、よく覚えてないが、少し辺りが明るくなってきてからのような。。

久しぶりのブログ更新でした。



2012-03-31

魂の響き

なかなか今まで生で聞く機会のなかった林英哲さんの太鼓。

ごふく美馬さん主催の「林英哲×藤舎貴生 魂の響き」というコンサートが高知市文化プラザカルポートでありました。

林英哲さんの音は実に貫録のある粘りのある音でした。素直に感動いたしました。特にお弟子さんとの三人での演奏は、体が音にロックされ身動きが取れないくらい見とれ、聴き惚れてしまいました。太鼓を叩いていると言うより、出てくる音を叩いていうようで切れ目のない響きがホール全体を包み込んでいました。龍笛の音も真を捉えるとどこからともなく脳に音が入ってきます。まさにそんな感じで音の出所が分からないような錯覚に陥るほどホール全体の空気が振動していました。

最後の曲は籐舎さんとの即興で、題名は高知に因んで「黒潮」。

へんな話プロが奏すると、どんな題名をつけようが、どんなに叩こうが吹こうが良いものが出来上がります。

それは”音色”と”間”がいいからです。僕は邦楽は”音色”と”間”が命だと思っています。間というのは所謂リズムです。

この黒潮も実にすばらしかったです。籐舎さんの音色は実に竹らしい音がでて、繊細且つ大胆な横笛だなと感じいりました。曲の静かな入りだし、中盤から最後にかけての流れかたが非常にスムーズでした。即興によく見られる奏者どうしの行きすぎた遊びや駆け引きというのがこのコラボには一切感じられず、上質な品のある、そして何か感傷的でありながら、空や無を表現してもいるような作品だっように思います。

さらに驚いたのが林英哲さん、太鼓を20歳のときに初めて40年たつとか、、技術といっても太鼓は体力もみるからに必要な楽器だと思うのですが、これには驚きです。心拍数、肺活量だったかな、どっちか忘れましたがそれも20代並みとか。。。

”音の響き”というものを勉強させていただきました。



2012-03-27

天理大学雅楽部創部60周年

天理大学雅楽部顧問佐藤浩司教授の賜物です。

実に実にすばらしい記念式典、祝賀会でした。

先生は今回本も出版されました。みなさまぜひぜひご覧になって下さい。非常に柔らかな文体で、たくさんのイラスト、そしてDVD付きの本です。






学生の域を超えた雅楽部の活動というのは佐藤先生はじめ回りの多くの方々のご協力を得て成し得てるのだという事を、今回たくさんの先輩方の姿をみて改めて感じました。

今回は祝賀会で学生による舞楽青海波の演奏、そして韻舎(2002年度卒業以降のOB,OGにより結成)による舞楽陪臚。僕は実はこの団体には初めて参加で音頭を頼まれましたが、大御所OBばかりの前で吹くそんな肝っ玉はなくすんなり断りました。音頭は後輩の龍笛名手S氏。 笑

韻舎のメンバー



いやーでも久しぶりに興奮と緊張の中演奏しました。かなりいいレベルで演奏出来ていたと思います。個人的な感想としてはそれぞれの音質が多少ぼやけてるからそこを練っていけばさらによくなるんだろうなと感じた次第です。

しかしながら残念な事があります。、最近、雅楽部の部員が減ってきています。にもかかわらず依頼は増える一方で色々と大変なようです。僕もOBとしてこれから出来る事をさせていただかなければと真剣に思っています。

このブログを何人の高校生が見ているか分かりませんが、ぜひとも天理大学に入られた方は雅楽部に入って頂きたいと思います。初心者でも全く問題ないです。きっときっと卒業時には一つの”何か”を得て社会に羽ばたけると信じます。

さて僕自身、帰国後音がどうも出なかったのですが、最近上がってきてます。というよりだんだんと少しずつ笛が解ってきています。

始動いたします。

2012-03-11

おもったこと~いろいろ


昨年の今日、僕はまだNYにいてその日は天理NY雅楽会のコンサートでした。が、急遽それがチャリティーコンサートとして行われました。

ほんとに早いものです。あれからもう一年がたつとは。

さて一昨日は天理大学雅楽部の大阪公演を見に行ってきました。まず第一印象としては多少のミスはあったもののそこそこのレベルまではもってきてたと思います。伎楽、管絃、謡物、舞楽どれも洗練されたものだったと僕は感じました。伎楽の笛はOBのI氏が吹いていて公演後少し話をしていました。「どれもそこそこだけど”何か”が足りなぁ。」「なんやろうね~」二人で腕を組みながら。。。

”何か”ここがお客さんに伝わる部分です。

僕はその後一旦I氏と別れ自分の練習をしていると、早速学生から電話があり部室に飲みにこいと。そこでその”何か”を学生も交え話しをしました。僕は数年前から”気”というものに興味をもって少しずつ考えています。最近太極拳というものをかじり始めてなんとなく分かってきている事ですが、足りないのはその部分ではないかと。しかしながら、その”気”というものは真を捉えた音、若しくは動き(舞)にしか乗り移らないと僕は思っています。畢竟、音はまだ出てない、そして舞の基本である重心、中心を感じる事ができてないから”気”というものが舞台にあらわれてこない。もちろんこれはやる気とか情熱とかなどとは全く別の話です。

30も過ぎてその部分をなんとなく頭ではなく体で感じとれるようなってるのだから学生に通じる話ではないのは分かっているが、、、

でも少しでもその部分を考えてほしい。呼吸法がまずは第一ステップだ

雅楽部は近々東北での演奏、また東京公演も控えています。東北では数グループに分かれ鎮魂のための演奏をいくつかの場所で行うそうです。僕もお誘いを頂きましたが今回は所用にて見送らせて頂きました。

芸術を行う者は芸術でもって人のお役にたたなければならない。そしてその”何か(気)”が人様の心にメッセージを刻めるのだと僕は信じる。

それにしても学生やOBもこの日はかなり集まり朝方まで、、、誠に楽しかったです^^

今月25日は創部60周年記念行事が行われます。







2012-02-19

太極拳

昔からやってみたかった太極拳。

近くの集会所でやっていて、知人に誘われたので今月から始めてみました。といっても一週抜かしたのでまだ二回だけです。

まずは。。僕は基本的に体が硬いのでそこからスタートです。思ってたより体に柔軟性が求められます。気を体に流しながら一つ一つの動きを行いますが、体が堅いと決まったポーズがとれないためこれは何ともなりませぬ。これから毎日柔軟体操です^^

太極拳の動きは全て丹田から始まるようです。中心が動きそれから、体の末に向かって動いていく。日々の生活ではまず末から、例えば物を取る時もいちいち体の中心に意識をして、それから手を動かす人なぞそうはいないと思います。足も然り。

体の細部に意識を持って動くというのはすごく大切だと改めて認識し直しています。ただ動いても全く意味がない。これは笛を吹く時もたぶん同じです。

さて、そもそもなぜ僕がこれを始めたか!?実は、、よからぬ企みを持ってまして。。雅楽の舞と太極拳を融合させて新しい舞なぞできないものかと。。


いかんいかん、そんなことよりまずは風呂上がりの柔軟体操

2012-02-14

最近の出来事

早いものでもう二月の半ばです、、気付けば正月からブログを更新していませんでした。

先月の出来事といえば、祖母が逝ってしまいました。正月に会いに行った時はまだ辛うじて僕の事が分かっていたようで,病院のベットではかすかな声で「今晩はおいしいもの食べなさい、寒いから気をつけなさい」って僕達のことばかり気にしていました。どんなに体が動かなくなっても最後まで人の事ばかり気にしていたのがおばあちゃんという人間を表していたような気がします。

これで僕にとってのおじいちゃん、おばあちゃんはいなくなり,時代は動いてるんだなぁ改めて感じます。

さて葬儀は山口で、帰ってから次の日、大学の恩師から夕方突然携帯に電話が。

「明日、明後日名古屋と東京で東儀さんのコンサートがあって、東儀さん腰痛めたみたいで抜頭を代わりに舞ってくれないか?」

さてどこの東儀さんか??

どうも東儀秀樹さんのようだった。

突然も突然。電話があったのはコンサートの前日の夕方で僕は高知の隅っこの中村。

こっちとしてはなんとか予定が空いていたので、しかも僕の恩師からだったので断れずに受けてしまったのはいいもの、準備時間はその晩の夜しかなかった。しかも次の日は朝一の飛行機だったから朝の3時半には起きなければならなかった。この時ほどこの地理的条件を恨んだことがなかった。

名古屋のホールは3000人のホール。田舎の片隅で雅楽に関してはほぼ冬眠状態だったから、頭と体を舞人モードに切り替えるのははっきりいってかなりきつかった。行きの新幹線で東儀さんの抜頭をytubeで何度かチェックするが、眠さの方が強かった。

はっきりいってリハもボロボロ。。。足は上がらない、体もふらふら。。。

しかもしかも、本番で、抜頭は実は少なくとも20回以上は本番踏んでるが、バチを途中で投げてしまった!!!!!

ひぇーって感じだったが客席に飛ばず良かった。 おそらく前代未聞。
まぁこれもお曖橋にしときましょう。。勝手に。

おわってすぐさま東京へ新幹線で移動。
ホテルであまりにも疲れたのでマッサージを呼んだ。これがまためちゃめちゃ気持ちよくて。少し復活 もちろんあっちの方じゃないですよ。。。

二戦目はなんとか乗り越えた。

あわただしいというか、なんというかばたばたとした週だった。

色々と勉強出来た事もあり今後の活動に生かしていきたい。

2012-01-01

大きな理想に向かって

皆様、あけましておめでとうございます。

旧年中、真に皆様のお陰をもちまして無事に通らせて頂く事ができました。

本年も厳しく柿谷に対し、御指導して頂きたいと思います。どうぞよろしくおねがい致します。

昨晩、とある雑誌を見ていると天理大学の飯降学長とサグラダ・ファミリア専任彫刻家の外尾悦郎氏の対談を見つけた。外尾氏については僕は面識はないが飯降学長はドイツのケルン大学で雅楽公演があった時に少々お話をさせて頂いた。飯降学長はハワイにいる親戚の柿谷は知っていたようなので話は早かった。さて、サグラダ・ファミリアというのは、建築家アントニオ・ガウディ―の設計によるもので2005年に世界遺産に登録された。建築が始まったのは1882年で、その当時バルセロナは産業革命の真最中で町は大きな繁栄を遂げていたそうだ。しかし、その反面貧富の格差は広がり、一部の人間の心は荒んでいったそうだ。その状況に憂いを感じた書店店主ジュゼップ・マリア・ボカベーリャが社会の最小単位である家族に重きを置く「聖ヨセフ帰依者協会」を設立し、その家族を大切にするという理想の象徴としてこの教会の建築を提案したのがサグラダ・ファミリアの建設に至ったようだ。

外尾氏によると、ガウディは常に言ってたそうです。


「まず初めに愛があり、次に技術が来るのだ。」

外尾氏は言います。「サグラダ・ファミリアの建築において、形の完成よりも大事なのは、それを作り上げていくことによって人類が成長すること。これが実は課題なのだ。」

この“人類が成長すること”。この言葉は僕にとって実はすごく普遍性を持っているようで持っていない印象を受けるのです。昨年の九月の終わりにインドに行ってたくさんの物乞いを見てきました。もう数時間で死ぬんじゃないかという道に倒れている人間をたくさん見ました。この人達にとって心の成長などという意識はないのです。ただ腹が減っていてお金が欲しい。おそらくこのような国はアフリカに行かずともアジアにもまだたくさんある。だからこの”成長すること”というのはすごく大切なことだけれどもすごく難しい言葉だと思うのです。

この対談ではその他、文化について、文明について、本物というものについて語られています。

飯降学長が最後にこのように締めておられます。

「私たちは、人々が心に希望の火をともし続けられるよう努めるとともに、その成長を促すことが大切なのでしょうね。人間はまず、自分自信の安定や豊かさを求めます。その次には家族の幸せを願います。そこで留まる事なく、隣人、仲間に広げていって、最後には人類が互いの幸せを願うところまで、心の成長を目指して歩んでいきたいものです。」

努力した人間としない人間の差が顕著に表れる時代になった。しかしながら、それは一部の国の話だ。世界の貧困地域にはどうしてもその状況を抜け出せない人間がいる事もたしかだ。かといってそれを僕がどうにかできるものではないが、その事を知ろうとする努力は怠りたくない。それは一人間として。

感覚として今年は、僕に大きな波が来るような感じはしない。もちろんこれはネガティブな意味ではない。ただこれからに向けて積まなければならない事がある程度見えているという事だ。

とにかく落ち着いて真剣に物事を考えたいと思う。大きな理想を持ちつつ、小さな事を確実にこなしていきたい。

酒ばっかり飲んでられない‥‥

今年はすごく大切な年だ。

初志貫徹

2012年 元旦

柿谷貞洋