2011-03-27

雅楽インタビュー

先日アメリカで雅楽のリサーチをしてる人からインタビューを受けましたのでその内容をのせさせて頂きます。


Practitioner: Sadahiro Kakitani


1. Please tell me the name of the group you belong to?(属しているグル―ぷの名前を教えて下さい。


以前は雅道風韻(がどうふういん)としてましたが、これは近々変更のなるかもしれません。日本ではあまりソロではしていませんでしたが、こちらではよく行っています。といいますかメンバーがいないので、、


2. What instruments can you play, and which instrument do you play for Gagaku?(どんな楽器を演奏する事ができますか?また雅楽ではどの楽器を担当されていますか?


龍笛、右舞、琵琶、打ち物(打ち物は基本全員が勉強します。


3.When did you first hear Gagaku?(いつ雅楽を初めて出会いましたか)


中学生ぐらいだったと思います。


4.How long have you practiced Gagaku?(何年、雅楽演奏の経験がありますか)


15、16年ぐらいだったと思います。


5. Why do you think you became a Gagaku Player?(何故雅楽演奏家になろうと思われましたか)


単に雅楽が好きだったという事が主な理由になりますが、
僕の場合は雅楽という音楽ももちろん好きなのですが、龍笛を吹くという事が特に好きでした。
どんな仕事にいても辛い事はたくさんあると思いますし、雅楽も毎日僕を悩ませています。しかしこの分野ならしんどくても何とかやっていけるんじゃないかと思ったかもしれません。


6. What is Gagaku attractive to you?(雅楽の何に惹かれましたか。5番の質問と重なるかもしれないですね)


かなり難しい質問ですね。。。
雅楽ってとても単純な音楽と僕は思うのです。でもまだまだ、そしてやればやれほど、わからなくなってきます。そこがある意味僕を虜にさせているのかもしれません。


龍笛を吹く、そして音を創りだしてという事は人生を創っていく事と連動しているんです。僕は今の師匠に18歳の時からついています。そして師匠に習った事はほとんどノートに記しているのですが、10年経ってやっと意味の分かる言葉がありす。そういう時は格別にうれしいですね。なんといいますか、本当の意味で龍笛を体得するという感覚を味わう事ができます。そしてそれがまた日々の生活の中で生きてくるんです。そして人間としても成長を感じたりできる瞬間です。


7. How difficult was to be learn and/or master playing Gagaku(雅楽はどのように難しいですか)


笛を吹いていて、分かった!っと思っても次の日になるとその感覚が全く消えてしまっている事です。(それは実は分かっていないという事なんですが。)分かった気がしていたり、自分の音に酔ったりしてるんですよね。昨日まで中の良いお友達だった龍笛が突然今日、機嫌を崩し音がならなくなる。欲が入るとだめなんです。音が濁るし、人前でも緊張して吹けなくなる。いつも心と音は連動している、その辺が難しい所です


8. Gagaku is one form of classical music in Japan. Even though I grew up in Japan, I have only listened to the music a few times as it did not seem to be very prevalent. Why do you think it is not more prevalent?(雅楽は日本の古典音楽ですが、日本で生まれ育った私でもあまり聞く事がなく、あまり知られていないように思われるのですが、どうしてでしょう?


もともと宮中の音楽であったし、民間の人が特に注意を向けだしたのは、東儀秀樹さんがでてきてからだと思います。それと雅楽をしたり聞いたりするには、心を時間とお金の余裕が必要だと思うのです。(楽器は高価ですし。。)最近、雅楽教室も増えてきて宗教関係者以外の方もだんだんと増えてきていると思います。それはおそらく日本人の暮らしのい余裕が出てきたからだと思います。


9. What's your plan for your music?(あなたの音楽または雅楽に関する将来のプランは?)


帰国次第、グループをもう一度再編成しなおしたちあげようと思っています。活動内容としては、福祉関係、教育関係、また海外公演も含めた自主コンサートなどを定期的に行うをともに、新しい雅楽の創作もできたらと思います。


10.What’s your favorite Gagaku song?(好きな雅楽の曲は?)


特ににこれが好きというのはありませんが、越殿楽は本当に難しいと思います。未だにしっくりと吹けたという感覚はありません。龍笛ソロの曲で一つ師匠が作曲したのもがあるのですが、それは見事に創られていて、龍笛という楽器の音が生かされるように創られていますし、こちらでもときどきソロで演奏させてもらってます。ただ僕もまだ完全に吹きこなせていませんが、、


柿谷貞洋







2011-03-17

希望

もしあの地震で自分があの津波をうけていたら、もし自分の家族、親戚、親しい友人が被がいを受けていたら、、、


たまたま僕はNYにいて、たまたま我が実家は高知にあったから助かった。被がいを実際に受けた人の気持ちには決して届かないだろうが、出来るだけ近づいてそして祈るしかない。


先日NY高知県人会の方から以下のメールを頂きました。そのまま載せてもらいます。

韓国の社説からです。

全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。 まずマグニチュード9.0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。 巨大な津波で約2000人が死亡し、1万人以上が行方不明となった。 宮城県のある村は住民の半分が行方不明になったという。 原発も心配だ。 日本政府は福島原発周辺の住民21万人を疎開させ、海水で原子炉を冷却する非常措置に入った。 不純物の混入で原子炉を事実上廃棄する劇薬処方だ。 日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。

  もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも動揺しない。 避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全な場所に移動した。 地下鉄・バスの運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家に帰った。 みんな走ることもなく3−4時間ほど歩いた。 翌日はいつも通り会社に出勤した。 想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。

  私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してきた。 昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。 「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ。 ハイチが開発途上国だからというわけではない。 05年にハリケーン「カトリーナ」が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗が相次いだ。 こうした記憶のため、日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれない。 惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。 地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こえてこない。 テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。

  ただ地震が頻発する日本の地理的特殊性だけでは、こうした現象をすべて説明することはできない。 徹底した耐震設計と速い警報システムが被害を減らしたのは事実だ。 徹底した事前教育と避難訓練も間違いなく力になっている。 一つの国の真面目も大事件を迎えてこそ表れる。 それがまさに国民性だ。 全身が凍りつくような恐怖の前で、日本人は落ち着いた国民性を遺憾なく発揮している。 1995年の阪神・淡路大地震当時、意外にも20%ほど円高が進んだ。 日本の国民性を誤って判断した海外投資家は痛い目にあった。 最近の円高も国際金融市場が災難の前で団結する独特の国民性を看破したためだ。

  日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。 今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。 むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。 災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶことはなかったか。 天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかったか。 すべての責任を無条件に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。 隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。 私たちは自らに厳しく問う必要がある。 また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなければならない。 私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い


“日本人として”毎日を過ごす、という事を今まで以上に意識してきたように感じます。

日本人のこの精神を世界へ輸出せねばなりません。それぞれの立場でもって。







2011-03-05

これからの事 続き

約一年半ぶりに日本に帰り、師匠やその他メンバーとも会ってきました。

それはそれは、師匠にたっぷり叱られました。僕の吹き方におかしな癖がついていたからです。自分でも分かってはいたのですが。
師匠の音を世界に伝えるが僕の使命ですから、叱られながら、何とも申し訳なく、稽古を受けながら、涙が止まりませんでした。あまりにも自分に情けなくて、、、

あれほどまでに本気で笛の吹き方に対し僕に叱ってくれる方がどこにいるのだろうか。もちろんその場は修羅場ですから、息を止めながら吹いているようなもので、冷や汗たらたらで稽古を受けているのですが、、。。

後輩の子達もずいぶん上達してて、こりゃ追い越されたなぁと思いつつ聞いていました。 

メンバーの何人かからは

「柿谷の音なんか聞いてられんわ」

「柿谷さんの音、全然面白くない。」

まぁ酷評をたくさん頂き、絶望の中アメリカに帰ってきました、しかしそう感情的になってる場合ではありません、しっかりと何がおかしいのかを考えていかねばなりませぬ。


原因は実は自分で分かっているのです。謙虚になって又初心に戻って出直しです。

雅楽の一般の世界は所謂年功序列になっており、下から上にはあまりものが言えないのが実情であるのに対し、僕たちのグループはそんなの関係なく下手な者は下手なものとして扱われる。。ある意味いい事であるのかもしれませぬ。


さて僕の今後ですが、おそらく今年度末、若しくは来年春前には日本に帰国し、今のグループをしっかりとした形にし、雅楽活動の本格始動として動きだしていこうと思っています。しかしまだこちらでやっておきたい事があるので、約後一年はここで踏ん張ります。




まあそれにしても日本の、我が家の飯がやっぱり一番うまい。ビールもうまい。アメリカも嫌いじゃないが、やっぱり高知の飯が一番。


まあそんなとこでこれからもよろしくお願いいたします。