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5月, 2011の投稿を表示しています

What Makes Japanese Art?

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非常に興味深いタイトルに誘われ先ほど見てきました。 所謂日本にしか概念というか観念というか、わび、さび、無、和、呼吸、間などがテーマだったようです。 日本舞踊、太鼓、琴、習字によるパフォーマンスで、四季に関するイメージの文字を夏から書いていくというものでした。下の写真は右から、夏、秋。音楽もそれに因んで演奏していました。 下の写真は、右から冬、春。 非常におもしろいアイデアだと思います。 四枚が出来た時点で終了し、その後は“間”についてお客さんとのディスカッション。 そして僕なりに“間”というものを考えてみたいと思います。 まだまだ修行中の身でありはっきりとした事は分かりませんが、陰陽説から考えると世の中は二つから出来ている。表と裏、光と影、男と女。あげるときりがありません。 だから“間”というのは単純にそのどちらかの話だと思っている。それは時には陽にもなるし、陰にもなる。学生時代の雅楽合宿の時、とある宮内庁楽師から君の笛の音には裏がないと言われた事がある。その時はよく分からなかったが、まぁ、あの時はとにかく全力疾走だったからその事を言われたんだなと今になって思う。要するに力を抜いて、息をしなさいと言う事だ。 こんなものは考えたってわかるもんじゃない。体得しなければならない。 まずは落ち着く事だ。それでいずれ分かってくるかもしれない。

幼稚園での演奏

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先日、とあるマンハッタンのフランス系の幼稚園で演奏してきました。 幼稚園児を五分でも龍笛一本で完全にロックできたらそれはほんまもんの笛吹きですね。って僕には無理でしたが、、、 それでも思ってたよりは静かに聞いてくれました^^ 何よりもきらいな説明。。 課題はいくつかありますが自分で見えているので問題なしです。 次のコンサートは来月です。しかも久しぶりの舞です。 “ふるさと”を吹いたのですが、一人の日本人に日本人を思い出しましたと言われました。 たったのこの一言ですが、僕にとって大きな励みになりました。 芸術家というのは誰しもが苦しんでいて、お客さんのその一言で救われるのです。

心を正しい位置に置く

震災で崩れた今日的バベルの塔 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 興味深い記事を見つけたので取り上げてみました。 筆者はこの震災を機に、今まで所謂新刊本を通じて積み上げてきた“知”というものに疑問を持ち一体本来の“知”、“本質”というのは一体何なのかをこの文章を通じて考えようとしている。そして「心を正しい位置に置く」という事を力説しており、その一つの手段として、ドストエフスキーなどの古典を解説本なしにじっくりと読む事でその力がつくのだという。 僕が気になったのは「心を正しい位置に置く」という言葉だ。この震災を機に我々はもう一度我々の目的を考えなければならないというか、誰しもが程度の差はあれ考えていると思う。 最近「自分に何ができるのか。。」というこ言葉が巷にあふれ、人によっては震災地へ飛び込んでいった人もいると思うが、結局直接的には専門家にしかたいした事は出来ないんだろうとも思う。特に今回は原発もからんでるので。 さて笛吹きとして考えたい。僕は笛を通じて何かを探している。竹の中、若しくは音の中に世界を見ようとしていると言ってもいいかもしれない。ここでいう「心を正しい位置に置く」という事は、僕の理解から述べると自分の分野を真剣に努めるという事であると思う。お茶をする人は御椀の中に、弓をする人は弓の中に、字を書く人は筆の中に、野球をする人は球のなかに。大事な事は自分の中に本質があり、自分自信で見つけなければならない。どの分野、どの仕事にも “世界” があり、人はその中に自分というもの、又、自分と他人、自分と自然との関係を発見していくものだ。 抽象的だがそれを一人一人が意識して生きれば何かがみえてくるはずだ。