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雅楽インタビュー

先日アメリカで雅楽のリサーチをしてる人からインタビューを受けましたのでその内容をのせさせて頂きます。 Practitioner: Sadahiro Kakitani 1. Please tell me the name of the group you belong to?(属しているグル―ぷの名前を教えて下さい。 以前は雅道風韻(がどうふういん)としてましたが、これは近々変更のなるかもしれません。日本ではあまりソロではしていませんでしたが、こちらではよく行っています。といいますかメンバーがいないので、、 2. What instruments can you play, and which instrument do you play for Gagaku?(どんな楽器を演奏する事ができますか?また雅楽ではどの楽器を担当されていますか? 龍笛、右舞、琵琶、打ち物(打ち物は基本全員が勉強します。 3.When did you first hear Gagaku?(いつ雅楽を初めて出会いましたか) 中学生ぐらいだったと思います。 4.How long have you practiced Gagaku?(何年、雅楽演奏の経験がありますか) 15、16年ぐらいだったと思います。 5. Why do you think you became a Gagaku Player?(何故雅楽演奏家になろうと思われましたか) 単に雅楽が好きだったという事が主な理由になりますが、 僕の場合は雅楽という音楽ももちろん好きなのですが、龍笛を吹くという事が特に好きでした。 どんな仕事にいても辛い事はたくさんあると思いますし、雅楽も毎日僕を悩ませています。しかしこの分野ならしんどくても何とかやっていけるんじゃないかと思ったかもしれません。 6. What is Gagaku attractive to you?(雅楽の何に惹かれましたか。5番の質問と重なるかもしれないですね) かなり難しい質問ですね。。。 雅楽ってとても単純な音楽と僕は思うのです。でもまだまだ、そしてやればやれほど、わからなくなってきます。そこがある意味僕を虜にさせているのかもしれません。 龍笛を吹く、 そして音を創りだしてという事は人

希望

もしあの地震で自分があの津波をうけていたら、もし自分の家族、親戚、親しい友人が被がいを受けていたら、、、 たまたま僕はNYにいて、たまたま我が実家は高知にあったから助かった。被がいを実際に受けた人の気持ちには決して届かないだろうが、出来るだけ近づいてそして祈るしかない。 先日NY高知県人会の方から以下のメールを頂きました。そのまま載せてもらいます。 韓国の社説からです。 全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。 まずマグニチュード9. 0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。 巨大な津波で約2000人が死亡し、 1万人以上が行方不明となった。 宮城県のある村は住民の半分が行方不明になったという。 原発も心配だ。 日本政府は福島原発周辺の住民21万人を疎開させ、 海水で原子炉を冷却する非常措置に入った。 不純物の混入で原子炉を事実上廃棄する劇薬処方だ。 日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。    もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも動揺しない。 避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、 小学生も教師の引率で列を乱さず安全な場所に移動した。 地下鉄・バスの運行が中断すると、 会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家 に帰った。 みんな走ることもなく3−4時間ほど歩いた。 翌日はいつも通り会社に出勤した。 想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受け ている。    私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩 序と混乱を目撃してきた。 昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。 「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」 という声が出てきたほどだ。 ハイチが開発途上国だからというわけではない。 05年にハリケーン「カトリーナ」 が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗が相次いだ。 こうした記憶のため、 日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれない。 惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。 地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こえてこ ない。 テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、 売店の前で静かに待った後、 必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。    ただ地震が頻発する日

これからの事 続き

約一年半ぶりに日本に帰り、師匠やその他メンバーとも会ってきました。 それはそれは、師匠にたっぷり叱られました。僕の吹き方におかしな癖がついていたからです。自分でも分かってはいたのですが。 師匠の音を世界に伝えるが僕の使命ですから、叱られながら、何とも申し訳なく、稽古を受けながら、涙が止まりませんでした。あまりにも自分に情けなくて、、、 あれほどまでに本気で笛の吹き方に対し僕に叱ってくれる方がどこにいるのだろうか。もちろんその場は修羅場ですから、息を止めながら吹いているようなもので、冷や汗たらたらで稽古を受けているのですが、、。。 後輩の子達もずいぶん上達してて、こりゃ追い越されたなぁと思いつつ聞いていました。  メンバーの何人かからは 「柿谷の音なんか聞いてられんわ」 「柿谷さんの音、全然面白くない。」 まぁ酷評をたくさん頂き、絶望の中アメリカに帰ってきました、しかしそう感情的になってる場合ではありません、しっかりと何がおかしいのかを考えていかねばなりませぬ。 原因は実は自分で分かっているのです。謙虚になって又初心に戻って出直しです。 雅楽の一般の世界は所謂年功序列になっており、下から上にはあまりものが言えないのが実情であるのに対し、僕たちのグループはそんなの関係なく下手な者は下手なものとして扱われる。。ある意味いい事であるのかもしれませぬ。 さて僕の今後ですが、おそらく今年度末、若しくは来年春前には日本に帰国し、今のグループをしっかりとした形にし、雅楽活動の本格始動として動きだしていこうと思っています。しかしまだこちらでやっておきたい事があるので、約後一年はここで踏ん張ります。 まあそれにしても日本の、我が家の飯がやっぱり一番うまい。ビールもうまい。アメリカも嫌いじゃないが、やっぱり高知の飯が一番。 まあそんなとこでこれからもよろしくお願いいたします。