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これからの事

日本への一時帰国(一週間)を10時間後に控え何か書いておきたい。というのはこの帰国は僕にとって大きな意味を持つからだ。 まずこれまでの経緯をお話し、今後の事も少し考えてみたい。 26歳の時初めてアメリカに来た時は三ヵ月だけで、その時は自分の龍笛の可能性をここで探りたかったからだ。なんとなくここで出来そうな感じがしたから、もう一度ここに来る事に決め、2009年9月にもう一度渡米した。 そしてNYにきて一年と約半年が経った。二年の予定できたが正直まだ何も達成されていない感じはぬぐえない。 さて問題は僕が何をしたいかである。 “雅楽をしたい”。 これは僕の、秋山真之ではないが、一生の大道楽である。そして僕はこれで、龍笛でもって人生を追求する事に決めている。これは昔、僕が師匠に「龍笛一本で人生悟れますか?」っという質問に対し、「悟れる」といった言葉に基づいている。 僕には龍笛の相方がいる。彼は僕よりいくつか年上で笛の技術は“超”と言ってもいいと思う、一流である。日本でも僕が思うに指折りの笛吹きだ。そして雅楽に対して非常に豊かな学識を持っている。今は同じ師匠を持ち、師匠の一番の内弟子として修行している。 そこには数人の師匠を慕う若者が集まってくる。今までも定期的ではなかったがコンサート開いたりはしていた。腕のある若い奴がごろごろいるのにあまりにもこの形ではもったいないと思い、なんとかしっかりとしたグループに立ち上げたかった。そして将来は日本での活動に加え海外でも活動したいという思いからまずは僕がここに飛んで下地作りをしたかったわけだ。 具体的な活動としては、まずは老人ホーム、病院での演奏活動。教育面としては学校でのレクチャー、又学校では実際に体験をしてもらうといった演奏活動。一般の方々へ向けての教室。それに加え東京、大阪での定期的な自主公演。最近は東洋医学と関連させての音楽療法にも少し興味がある。その他、他分野とのコラボも視野にいれている。 ここまでは僕が日本にいてても出来た事だ。 しかし僕はこれをどうしても日本の外にも発信したい。 海外への発信としては文化伝道という点と、もうひとつは日本の伝統芸術雅楽をするのだけど、斬新な芸術作品を雅楽器でもって発表していく事だ。後者は文化伝道ではなく、新しい分

雅楽演奏会 Gagaku Concert

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NY天理雅楽会によるコンサートのお知らせです。 March11 Friday 2010  8:00pm  Donation$10 TENRI CULTURAL INSTITUTE  http://www.tenri. org/ 43A WEST 13TH STREET, NEW YORK, NEW YORK 10011 TELEPHONE 212.645.2800   プログラム 管絃 平調    越殿楽 謡物 朗詠    嘉辰 舞楽 太食調   抜頭                              長慶子 Gagaku Concert Program Kangen        Hyojo               Etenraku  Utaimono     Rouei                Kashin     Bugaku        Taishikicho        Batou                                            Chokeishi

日本語教師をしてて思ったこと

二月になって一度もブログを更新していない事にきづいた。ので何か書きます。 日本語教師をこちらで週2回させて頂いている。一つは小学生、もうひとつは大人のもう10年前後勉強している人達だ。 大人クラスのテキストの中で時々日本文化、剣道、柔道、茶道、弓道、その他、、、についてのセクションがでてくる。学生さんは、僕より年上ばかりで日本語は確かに僕の方が出来るかもしれないが、日本文化自体についてはかなり皆精通している。だから教えるというよりみんなで授業を作っていくような雰囲気だ。 先日、庭園についての話になった。日本の庭園と言うのはあくまでも’自然’と言うのがベースであると僕は捉えている。しかし西洋の庭と言うのは、センターを軸とし左右が対象になっているものが多い。庭の話をしている時、 夢窓疎石(作庭家、禅僧)の話題になった。クラスの半分この人を知っていたのにはさすがに驚いた。 夢窓疎石というお坊さんは庭作りを修行の一つとして捉え庭の中に宇宙観を組み込んだ人だ。雅楽の世界と混ぜてこういう話をしだすと僕も興奮して、先週は一時間以上熱弁してしまった。あまりにも熱弁してたので、PCの線を足で引っ掛けてPCを落としてしまった。。しかし無事に動いている。 さて何が言いたい 君は? 書きながら何が言いたいかを考える癖は早くなんとかせねば 。。 まぁいっか英語の提出しなきゃならないエッセイじゃないし、、 僕がこういう類の話をしててみんなと考えてみたいのは、伝統を守るという事はどういう事なのかという事だ。宗教、伝統芸術、伝統芸能には何かしらの作法やしきたり、所謂ルールというものが存在する。何を着るとか、足は右から出すとか、etc. しかしながら大事なのは精神性、そしてその中にあるCOREというものをいつも追い求めなければならないと思っている。COREというものはその芸術の表面にあるのではない。あくまでも人間が何かを求め、何かを表現したいからその芸術作品ができた、だから一歩突っ込まないと本質はみえてこない。先人が何をその芸術を通して見ようとしたかが問題である。そのために作法が存在する。その原点を現代の視点から作法を通じ求めて行くという事が伝統を守るという事であり、又発展させていくという事であると思う。そこをふまえてクリエイティブな作品を生み出したいものだ。 今さらながら、ブログとい