投稿

4月, 2010の投稿を表示しています

ふと思い出したこと

イメージ
昔、僕が大学を出て師匠の家の近くに住みながら通いの内弟子修行をしていた頃のころである。 ある時師匠が僕に厳しい口調で、「柿谷、人間は太く生きていかないかん」と言った後、その場にたまたま師匠の檀家のお年寄りの方が来られ、師匠が、「~さん、人生は細く、長く生きて楽しむんやで」と柔らかな口調で言った。ある時は僕に「人生は一回や。生まれ変わりなんかあるか!」と言いつつ、もう一カ月しか余命のない少年に向かって「人間には来生がある。きっと次は元気な体に生まれ変わってくる」と。 “人に話をする”という事はこういう事なんだと今になって思う。 これはたまたま龍馬伝を見て思い出した。 毎日希望と不安の混じった生活に時々耐えられなくなる事があるが、結局は先の事を考え過ぎるからなんだろうなと思う。でも考えずにはいられない、、 今しかできなく、この場所でしかできない事をしなければと思えば思う程全然関係ない事をしてしまう。。。 今の僕の人生の時期は言い訳無用、まったなしの時期だ。今やらないで何時する!!と自分に鞭を打ちながらの毎日だ。 さて明日からspringsemesterが始まる。学校の勉強と、雅楽伝道、日本語教師とTo Doリスト盛りだくさん。追われるより追いながら生きていきたい、、と思うが現実は追われぎみだ。 しかし気持ちはいつも“晴れ”ていたい。

雅楽を習得するのに日本文化を学ぶ必要がある?例えば上下関係など

日本の雅楽会には、ほとんどと言っていい程どの団体にも上下関係というものがある。所謂年功序列だ。目上の人を敬うという文化は、たぶん儒教からの影響で日本には仏教とともに入ってきて戦国時代からの武士道ともに育まれてきたものではないかと思う。西洋でいうところの騎士道だ。雅楽を学ぶ時に武士道的な精神である、勇気、正義、惻隠、礼儀、誠実な心というのはないよりあった方がいいと思うが、雅楽は武士から生まれたものではなく貴族のお遊びであった。そして日本に入ってきた雅楽は中国では儀礼に使われていた儀式音楽ではなく俗楽のほうであったと言われている。 日本で生まれた武士道、剣道、茶道、華道などの“道”とつく芸術には作法というものが存在する。雅楽には道という文字は存在しないが、楽器に対する持ち方や動作の順序などの作法がある。そして多くの場合伝統芸術を学ぶ際、年輩の方々から指導を受け、それと共にその芸術に対する心持ちや、日本人としての心意気のようなものも習うはずだ。雅楽の場合、基本的に管絃という舞のない曲を演奏する時、楽座という胡坐を掻いた姿勢をとる。しかしこの姿勢はアジア人以外には長時間演奏するには苦しい姿勢のようであるが、これも一つの立派な作法である。作法というのはそのものに対する敬いの心と、畏怖の表れであると僕は理解しているが、これはその国の人から見た、例えば神などへの気持ちの表れであるから形は千差万別だ。だからといって勝手に自分達の作法ですればいいものでもない。郷に入っては郷に従えという言葉があるように。要するに雅楽を日本人以外が本来の意味で習得するにはこの心意気や、日本文化にある作法というものを学ぶ必要があるのかどうかという事だ。 文化というのは東向きに伝わるというような事を何かの本で読んだ。僕は今、日本からみた東の国であるアメリカに雅楽を伝えようとしている。もちろんアメリカに雅楽を伝えようとしている人は他にも何人かいる。しかし演奏技術のみを教えるというのはたいした事ではないと僕は思っている。なぜなら雅楽譜を西洋譜に置き換えたものが今ではあるし、指を覚えて多少音を出す練習を数ヵ月、数年すれば誰だってそれなりに演奏できる。それなりというのは難しい定義ではあるが。しかし雅楽の実体はどこにあり、本質は何かと考える時これはとてつもなく難しい。僕もまだこの道を究めようとしている段階だから、