ギャラリーにて。龍笛、バイオリン、ベースでの演奏


一昨日、昨日とチェルシーにあるippodoというギャラリーで演奏させて頂きました。今回はギャラリーからの招待客だけという事だったのでプライベートコンサートのような感じでした。

メンバーは前回と同じくバイオリニストのMamiさんとベースのタカさんで、内容は僕の古典のソロ、今回は春がテーマだったので「春庭楽」と、その後は少し説明を加えて後、三人でさくらさくら、越殿楽(龍笛、バイオリン、ベースでのオリジナルバージョン)、春の海、アンコール曲としてジュピターでした。

ここのギャラリーは所謂“本物作品”しか置いていなく、今回来られていたお客様もほとんどが各分野での世界トップクラスのプレジデントクラスの方々だったようです。そして日本の歴史についても大変造詣が深い方ばかりで、もちろん耳も一流です。

演奏の目的は二つ。自分の演奏に自分が納得する事、そしてお客さんに喜んで頂く事。

演奏後にレセプションがあり、その時にはずいぶんとお褒めの言葉を頂きましたが、僕はどうしてもこの人達が本当に喜んで下さっているのかが分かりませんでした。後のうちあげで僕のNYで芸術活動の指南役でもあり、笛の弟子?(どちらかというか僕の方が色んな意味で、色んな場面で弟子のような感じですが、、、)でもあるYさんに、あの人達本当喜んでいたのかそれとも、御愛想なのかを聞いてみたら、御愛想言う人達じゃないから。って言われたので少し安心しました。因みにYさんはこのギャラりーのスタッフで今回僕たちの演奏をプロデュースした方です。

ただいつもの事ですが、僕は自分の演奏に納得がいってません。今回気付いた事は、僕はまだ体の力を抜いた状態で、緊張や集中力を高めていくことが完全にできていない。ただの緊張は演奏にとって全くのマイナスである。そしてこれは欲の心から生まれるくるものであると僕は思っている。例えば、うまく吹きたいとか、きれいに吹きたいとか、間違わないようにとか、くだらない煩悩からこういう緊張は生まれてくる。芸術に美しいというのは必要であっても、きれいというのは必要ないと僕は思っている。美しいというのももちろん表現をした後の結果論の話ではあるが。

もっともっと演奏中、自分と地球とお客さんが一体にならなければならないと思う。僕は笛吹きだから、絵を描いたり、物を作ったりして物理的な目に見えるものを創作しているのではないが、僕も彼らと同じように、その場限りの一つの作品を作っている。それは“音の世界”である。だからそういう意味においては見ている方の協力も必要なんです。今回のお客さんはそういう点で完璧でした。ただ僕の空気自体を芸術作品に代えていく力というか、なんというかそんなものがまだ全然足りない。簡単にいうと“気”の力がまだ弱い。

そして今書きながら分かった。“行”が足りない。そしてただ単に練習量も足りない。

深い呼吸をもった生活が必要だし、もっと自分の中に岩をも動かすエネルギーのようなものが必要だ。

まだまだできる事、しなければならない事がたくさんある。

さて次の演奏は今の予定では3月20で、今回と同じトリオで行います。

http://www.aacfli.com/昼の部、夜の部両方参加予定です。




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