2009-05-28

雅楽の社会への影響




27日、麻生さんと鳩山さんの初の党首討論が行われました。


僕には水かけ論にしか聞こえませんでした。かと言ってすべての社会問題に対して代替案があるわけではないので偉そうなことは申せませんが。
頭の優れた方々が本気で話し合っているだから、素人の僕なんかが突っ込むとこではないかと思いますが、何かベクトルの向きが違う気がします。

人間の心が変わらないと方法論だけでは決して世界はよくなりません。北朝鮮に効果のある制裁なんか僕はないと思います、駆け引きなどの言葉がよく使われますが、彼らの心が変わらないとすべては無駄だと思います。

話は変わりますが、少し東洋医学について素人ながら書きたいと思います。東洋医学の得意分野は西洋医学では治療が困難な部分で、漢方や針灸の治療があり、糖尿、リウマチ、アレルギーなどの慢性的な病気に効果があるといわれています。逆に緊急を要する状態の怪我などには、西洋医学の方が効果的であります。

東洋医学の理論体系には、中国古代の自然哲学思想があり、これは、自然哲学の考え方で身体を捉えて治療法を生み出します。その一つに陰陽五行説というものがあります。陰陽とは万物を陰と陽の対立する二つの性質に大別し、五行説とは木、火、土、金、水の五つの要素がそれぞれ特有の性質をもって、お互いに関係しあい存在しているという考え方です。

雅楽の理論体系の中にも、この陰陽五行説が取り入れられています。東洋医学が体を小宇宙と捉えているように、雅楽の世界もその中に宇宙を表現していると言われています。雅楽には六調子(双調、黄鐘調、壹越調、平調「太食調」、盤渉調)というのがあり、それぞれに木、火、土、金、水が対応しています。管楽器、打楽器、弦楽器又、舞を伴い超自然を表します。しかし、これはもちろん机上の論理であり、実際そのような演奏ができるのは、達人の集まりでのみ可能になるのであります。僕はその達人になるべく、日々精進しておるのですが、その一つの方法は以前にも書きましたが呼吸法のマスターであります。

中国の思想では、世界には【気】が満ちて、気が密集して物質が作られていると考えられています。これは飲食物や呼吸から取り入れられて作られているので、雅楽をするという事は、良い気を生成するために食生活がすごく大切なのです。さらに自然のリズムに同調するという事も雅楽のリズムを作る上で欠けてはならない事です。それらが出来上がってくると、演奏の舞台に良い気が充満し、その結界には本来の雅楽の姿が現れてくるのです。

このような理想の雅楽がもしできたならば、これはある意味雅楽芸術の完成形であると思いませんか。これは決して形而上の話でなく、現実にできることだと僕は思っています。

そしてこの気が満たされた雅楽は'政治家'にも、お百姓さん、お医者さん、スポーツマン、サラリーマン、主婦、音楽家、宗教家……。すべての人の人格に何らかの'影響'を与え、またこの現代社会にも大きく影響を及ぼすに違いありません。



2009-05-24

龍笛の吹き方~④



龍笛記事を続けます。


昨日まで笛を習いに、教えに、また留学の手続きなどで神戸、大阪、奈良と行ってきました。


梅田駅では8割方の人がマスクをしており、実際見るとテレビで見るより異常な光景でした。自分がもらってないのを祈ります。


今回は、僕の同級生や後輩が今晩(25日)、とある雅楽の演奏会に出演するために、リハをするというので23日の晩、母校の練習場へ見にいってきました。ほとんどがOBといえども、まだ現役上がりのばりばりであり、演奏技術はかなりのもので、群を抜いて他の雅楽団体に比べてもトップクラスであることは間違いない。

しかしただ一つ足りないものがある。“気”が足りない。先輩面して偉そうに書いているわけではなく、本当にそう感じた。大事なことは、基本的な拍子や音程を除いて、お客さんの心に何を残せるかである。見に来てくれた方々に‘上手だったね’‘きれいな装束だったね…’などの感想ではなく、なんとも言葉では言い表せない深い跡を植え付けなければならない。芸術作品なのであるから。

そのためには個々人がもっと雅楽に対し、素直に真剣にならなければならないのである。ここがすべての基本であり、しかも合奏になると全員が同じ高い気持ちを持ち、初めてメッセージが伝わる。逆にいうと、今回は13人位で演奏していたが、みんなが同じ気持ちを持つとすごいものが伝わるのである。


少し感じた事を書きました。




さて、それでは僕の龍笛の話です。


滞在中は師匠宅へ毎晩稽古に通い指導してもらいました。言われることは唯一つ、

「吹こうとするな、自然に音がでるんや、おまえはまだ音を出そうとしてる。」


音を出すために、音を鳴らすために息を入れる。普通ではこれが当たり前であるが、ここではこれが禁止されている。息を入れたら駄目なのである。自分が風になり、勝手に竹に風が当たり、それが自然に音になる。。。僕は決して詩を書いているのではなく、現実の事を書いているのである。そして現実に師匠は僕の眼の前でその音を奏でている。。


師:「なんで自然に吹けんのや、なんで不自然なことするんや、いらんこと考えるな、まだ息を(意識的に)入れてる。」


柿:「はい、、、」


~僕が吹く~


師:「あかん、息入れとる。もっと力抜け」


~僕が吹く~


師:「あかん」


………。。


だいたいいつもこの繰り返しだ。。。


今この文章を書きながら考えているが、答えは僕の見えている視界には存在していない。全く別次元のところにおそらくある。これは相肩に3年くらい前から言われ続け、最近やっとこの意味が分かってきた気がする、たぶん、、、


だから自分の音のイメージを常に捨て続けなければならない。眼の前に師匠の音がありながら、無意識に自分の音を作り出しているのだ。どうしても‘我’が入りこんでしまっているから、自分の殻からなかなか抜け出せない。極端な例を述べると、答えは地球にはなく、火星にあるのに、僕は一生懸命地球の中を探している。。。完全に死角になっている。


‘個性’と‘我’はよく混同されるが、僕が師匠に習った個性というものは自然の中に存在するものである。自然に吹くことができ、自然な生き方ができ、やっとその人間本来の個性の音が出てくる。僕のような凡人が音を自ら作り上げてしまうとそれはただの癖になってしまう。


もっともっと自分の音や、吹いているときの心理状態、体を注意深く客観的に観察し、自分の我が出ていないかをチェックしなければならないと思う。


今回は龍笛の吹き方というタイトルにはそぐわないかもしれないが、‘気を込める’ ‘我を捨てる’というのはすごく大切なことであると思ったので、このようにした。


柿谷貞洋

2009-05-18

龍笛の吹き方~③




今週末から師匠宅へ行くので、その前に自分の音に対する考えを再確認したいと思います。
龍笛の吹き方~①では、僕が師匠から習った基本をかなりコンパクトにまとめました。龍笛の吹き方~②では特に振動、感性ということについて述べました。しかし龍笛の吹き方~③を書くにあたり、龍笛の吹き方①と龍笛の吹き方②を自分でプリントアウトし読んでみると全く計画性がない文章になっている…どうしても龍笛に関して話をしたり、書くとなると気持が高まり文章の論理性が欠けてきてしまうということに気付いた、、、元々論理的な文章など書けないが……自分の音のイメージや吹き方を言葉にするというのはすごく難しいことです。ということでこの数字などは特に気にしないでください。。。

さて、僕が今フォーカスして訓練しているのは、音の“密度”と“振動”です。密度というのは言葉のとおり、どれだけ笛の真に対して、凝縮性のある息が送られ、音が分散していないかということです。これには単にひとつコツがあるのです。口の力を抜いて唇を横に細くするのです。しかし、普通に吹きながら口を横に細めると必ず口に力が入ってしまう。だからこれもイメージで、口を細めてその音を出すのではなく、その音を出すために口が細くなる。言ってることが矛盾してますね。最初は両方(音のイメージと口を細くする)からアプローチすればいいのです。僕の生徒さん理解できますよね??(笑)

次に振動ですが、これは僕は今まで笛の筒の中の真ん中に、絹を通すイメージだったのですが違っていました。相方に先月指摘されました。っとここで相方を紹介いたします。笛は僕より一枚上手で現在師匠宅で修行中です。腕相撲は僕が二枚上手です。。。
話を元に戻します。振動させるイメージは、息を筒の下、底に通していくイメージで、両親指の腹に息を添わす感じです。今は毎朝このイメージで特訓中です。

笛の論理と人生の論理は同じだと考えているのですが、これでは人生論になりませんね。


写真は一昨年行ったByronBay(オーストラリア最東端)です。なんとなく使ってみました。



今月は神戸、大阪にもよるのでマスクを忘れずに持っていきます。
柿谷 貞洋

2009-05-16

カヌーへ


実は僕、カヌーをしたことがなかったんです。四万十川沿いに住みながら、、今回初めてしました。


と言ってもカヌーはこっちの文化ではなく、外から入ってきたものなので、僕らの世代よりの上の地元の人達は、ほとんど経験ない人ばかりだと思います。


今回乗ったのは、カナディアンカヌーという、比較的大きな、普通の人がイメージするカヌーというより二人乗りのボートに近いものです。


友人と行ったのですが、彼はインストラクターのようなものもやっていて、もうお手のものです、というわけで今回は僕の練習で、彼は呑気に、乗りながらブラックバスを釣ってました。。


気づいたことは、とにかく水が少ないし、あまりきれいではない。。山の雑木がほとんど切られたため、山に保水力がなく少し日照りが続くと、川の水位がすぐにさがる。


僕の龍笛の音は、この川に根ざしたものであるので少し悲しくなる…


とりあえず、ひっくり返らなくてよかった、、、


証拠写真は携帯からです。

2009-05-11

決めました。

とりあえずLaGuardia Community College という二年生の大学に決めました。一月入学の“予定”です。といってもまだ合格したわけではなく、いまから遅くとも秋までにTOEFLをかなり上げます、がんばります。9月には付属の語学学校に入る予定です。

目的を具体的に決めるというのは、大切なことだと思っています。気合が入るからです。っと気前のいい事を書いていますが、実は僕は常に気持ちが不安定というか、2日に一回くらいとんでもなくやる気がなくなるというか、不安になる時間帯があるのです。。なぜでしょうか??自分で、将来に向けて今やらなければならないことがはっきりとしているにもかかわらずです…これは未だに解決できません。

いづれにせよ、雅楽、語学ともに、かなり追い込みをかけてやりたいです。ただし自然体で。

2009-05-03

自己紹介



遅ればせながら、自己紹介。 



今さらですが、今日から本名で参ります。



高校の時に、とりあえずと始めたのが雅楽という長い歴史のある芸術音楽です。



横笛を始めたのが小学生の時の篠笛。中学生になってからは、フルート、ピッコロ、辿り着いたのが、今の龍笛で、同じ横笛でもこれが僕に一番合っているいるようなので、今はこれが、意識のうえで生活の中心になっています。実際に演奏活動を始めるのは3年後くらいになりそうですが。。




18歳で今の師匠に出会います。23歳で大学を卒業して、24歳の時、師匠に弟子入りのようなことをしましたが、この時は全く芽がでず、一年ももたず挫折、、




心身ともにかなり参ってしまって一年近く実家で休養し、この時は雅楽をやめようと思いました。しかし、血がおさまらず、また雅楽の道へ入りました。といってもすぐに師匠のとこに戻ることができず、NYでやってみようと思い立ち、三ヶ月間母の知人宅へ滞在させてもらい、NYで音楽活動している日本人を訪ね、活動方法などいろんな話を聞き回りました。




帰国3,4日前にマンハッタンの、とある日本人が経営しているギャラリーで演奏するチャンスをもらい、師匠の以前作ってもらったソロの創作曲や古典曲を二日間演奏するとかなりの人が聞きに来てくれ、“これいける”みたいな感じが掴めたので、帰国後語学学校に入り、英語を勉強し直しもう一度NYでトライしようと思ったわけです。




昨年は四万十市役所で勤務し、雅楽を勉強しながら、資金繰りといった生活でした。今現在は2009年の秋を目指し準備中です。




将来的には、今一緒に活動している雅楽団体をNPOとして立ち上げたいので、アメリカでは、2年生の大学でBusinessを勉強したいとい思っています。帰国後は世界各地に雅楽を伝えたいと思っています。



人は皆、色々な持ち場立場があり、自分のやりたいことができないことが多いです。僕にもそういった立場的なものが少なからずあります。しかし自分のやりたいことが、自分のために、また人のため社会のために少しでもなるのであれば、それはやり通さなければなりません。




僕の目指す雅楽の世界は、以前にもこの事には少し触れましたが、自分が感じた自然をそのまま音に表現することです。吟遊詩人になりたいのです。




今の雅楽という形ができる前は、笛吹きは山を見て、月を見て、川を見て、また宗教的な意味合いを感じたりしながら、笛を奏でてたに違いありません。




以前師匠が「耳の聞こえん人にも伝わる笛を吹かないかん」と言われたのを思い出します。龍笛はメッセージと振動なのです。




浅学非才の僕にどこまでできるか分かりませんが、一生懸命がんばりたいと思います。みなさまどうぞよろしくお願いいたします。




写真は季節はずれですが。。




雅楽傳導師 柿谷貞洋

2009-05-02

同窓会?

同窓会みたいな感じの事をしました。

もう15年ぶりに会う同級生なんかもいて、大分見違えますね。。

僕達のつきあいは、保、小、中と、しかも1学年17人?くらいだったので、みんな兄弟みたいなところもあります。

やっぱり、久しぶりに会ってワイワイ飲むとかなり楽しいものですね。

しかもなんかすごく刺激になって、ほんと僕も頑張らねば、という気持になります。

結局朝5時近くまで。。。

軽く二日酔いです。