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龍笛の稽古~力を抜く難しさ~ at Brooklyn

NYはほんまに寒い一日でした。大学生の時に12月にモスクワに行った時を思い出しました。実家四万十市では考えられない、、、 今日はブルックリンにYさんの龍笛のお稽古に行って来ました。彼女は龍笛を僕の師匠から買っていて、僕の笛と兄弟笛です。すごく重厚な且つ柔らかく繊細な音がでる笛です。たぶん僕のよりいいと思います、、、 日ごろはお仕事の関係などで時間が取れないため今日は集中練習とうことで午前中から特訓のはずでしたが始めようとすると、なんやかんやの会話がお互いに始まり、なかなか笛の稽古に届かず結局午前中はほぼ会話で終了。。 さて昼からは本腰入れてです。 僕が指導させて頂くとき一番大切にしている事はとにかく“ほー”の口のイメージで音を一つ一つ出す練習です。指も動かさないし唱歌もしません。特に“中の和”の指を中心に下から柔らかく音を入れていき、音がでてくると段々と下腹(丹田よりも少し斜め下の辺り)からその音を音で押して行く練習です。押して行くというよりは振動を“気”でもって加えていくようなイメージです。決して“息で音を出そう”としない事です。多くの笛吹きが音を息で出そうとするから疲れるし、時には肺活量がどうだこうだと言ったりするから本来の龍笛を吹く楽しさを逃しています。そして息で作った音は自然ではないから人にCOREが伝わりません。 僕の知ってる多くの方々が必ず指、肩や口などに力が入り長く練習してるとどこかが痛くなり、そして力を抜こうと思っても力は抜けないし、時には力を抜かなければならないという事すら知りません。しかしYさんは今日はその事にはっきりと力が入っているというのを自分で認識できたようなのでまずはスタートラインに立てたと思います。音を出そうとすから力が入るのであって、音がでるとかでないとかはどうでもいい事なんです。なぜなら、師匠の言葉を引用すると笛の原点は「朽ちた竹に風があたって音が成った。だから笛吹きは風にならなければならない。」 風はもちろん音を出そうと思って竹にあたってるわけではなくたまたま音が鳴った。だから自分が風になったイメージをもちただただ竹に風を送り、結果音が鳴る。 もちろんこれは精神世界のような話であって究極的な境地ではありますが、僕はそこを目指しているしそこを伝えたいと思っています。だからそう思い続けて稽古をすると段々と気持ち

ぶらぶらFlushingに

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今日は友人YasuさんとTomoさんとFlushingに中華を食べに行きました。チャイナタウンのような所です。昼間っから調子にのって今日は飲みました、、チンタオってビールなかなかおいしいです。 たらふく食った後はその辺をぶらぶらと、、とあるスーパーに入りました。まずはカエル。決して気持ちのいいもんではありませぬ。 そしてよくわからんもの、、これも決して気持ちのいいもんではないです、、 めんぽうじゃなくて、めんぼうだろ。。 きはのし??きのはし。 「早速、御使用下さい」??? 「12種類の米は確かに集約します」??? googleの翻訳機能使ったのかなぁ? まぁとにかく楽しかったです。三人でスーパーで爆笑してました。 新年会も企画中。

お誘いを頂いて、

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昨日は知人宅へ呼ばれたっぷりワイン頂きました。 今は朝の5時です。なぜこんな時間に目が覚めるのか、、、、 知人の旦那さんはフィンランド系のアメリカ人で尺八を上手に吹いてました。 そして僕は龍笛で“きよしこの夜”をバイオリニストMamiさんと共演。 バイオリンを430ヘルツにあわしてもらうとなんとかできない事はなかったです^。^まぁ彼女がほとんど僕に合わせくれた感じですけど、、 さて来年は僕にとってかなり大事な年になりそうです。 がんばろ!!

今日の龍笛稽古

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さて学校もコンサートも終わり一段落といったところですが、僕の頭の中は次のコンサートに向けて龍笛の音を練る事に必死です。まだ日程は未定ですが。 今回のコンサートのビデオを自分で見ながら、もう一度反省してみました。twitterにも書きましたが、①息を入れてからの押しが弱いからいまいち音に伸びがない。②ブレスの間が短くなっている。特に最後の曲になると、呼吸が疲れから少し浅くなってきてるからそのせいだと思う。③説明の英語の発音が悪い。。。 さてこれからの練習としてはもう一度基本に立ち返りロングトーンからです。一つの音を真っ直ぐ、ぶれる事なく伸ばす練習をし、それができたら今度は音を音で押していき、管に振動を加えて行く練習です。そして大切なのはまず笛を持たずに深い呼吸をする練習です。 龍笛の音は二つから成り立っているのではないかという事を以前に書きました。真ん中の絹の音、所謂真の部分、そしてそれを包む音。最近はこの真ん中の絹の部分にこだわって練習してます。そうすると、以前師匠が言ってた「自分の息筋がみえないとだめだ」という言葉の意味が少しづつ体を持って理解できるようになってきました。コンサートが終わってからです。。 少し話がそれますが、コンサートの前日「天空の城ラピュタ」をビデオで見ました。特に意味はなくただここの家にビデオがあったからです。映像の中で飛行船から離れたパズーとシータが龍の巣の中に小さな飛行機で入っていくシーンがあるのですが、その龍の巣の中を二人の飛行機が駆け抜けていくシーンが妙に僕の龍笛の管の中のイメージを一致して少し音に対する閃きを頂きました。駆け抜けていくスピードが速いという点が重要なのです。その二人の飛行機が僕のいう所の“真”であり“絹”の部分です。 音のイメージは常にアンテナさえ立てておけばどこからでも取り入れる事が出来ます。ただここまでいくと、龍笛バカとか、狂人扱いされるのでその辺は覚悟してください^^。 とにかく今までの10年分の師匠の言葉を書き留めたノートを見直して一からやり直しです。今回は舞台や装束にもこだわり、そしてこれからも色々と考えていきたいと思っていますが大切なのは何度も書いてますが“音”です。 小さめに前回のコンサートの写真をアップさせてもらいます。

アメリカ自然史博物館へ

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来月の17日にAmerican museum of natural historyという場所でNY雅楽会が演奏をしますので、その下見に昨日ホストファミリーなどと行って来ました。 現在 シルクロード展 をやっていてその中の一環の行事です。メンバーの方は今、猛?練習中で今回は管絃、歌物、舞楽(抜頭)の構成で約45分間の演奏です。 他にも恐竜などの展示があったので見てきましたが、とにかく広く、自分達が今どこにいるのかを把握するのが大変でした。 今朝NJは15センチ程の積雪でしたので朝から雪かきでした。

友人ブログ

NYは寒いです。かなり寒いです。 今日は日中も0°を下回っていたようです。 友人のブログを追加しました。 http://ameblo.jp/okamami0329/ 彼女はバイオリニストでこちらでその勉強をしています。 今日少し呼吸の事について話してたら、バイオリンもすごく呼吸が大事なんですって。真の部分を伝えるにはやはり“根”の部分をしっかり育てないとだめだという事を改めて認識し直しました。 最近座禅をあまり組んでなかったから明日からもう一度しっかり始めます。まぁ僕のはけっこうなんちゃって座禅ですけど。。。

龍笛ソロコンサート終了

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みなさまありがとうございました。 無事終了いたしました。 舞台については今回は最後の曲目に因んで火、水、風をビジュアル的に表現しました。赤のカーペット、僕の青の衣装、そして風は竹をもって表現したつもりです。 写真には映ってませんが、今回は後ろの壁に竹の影を写したかったので、両端からスポットライトで竹を照らしました。これは大成功で壁一面に大きな影ができました。 演奏に関してです。 さすがに最初は震えました。。吹きだしは重心が胃の辺りまで上がってどうしようもなかったのですが、少しづついつもの丹田の位置まで下げることができました。約50分間の演奏でしたが、集中力も途切れることなくできました。 ただなんとなくの自分の空気の感覚として、全体のソロコンサートとして、まだ何かもう一押し足りない気がしました。終わった時それがなんなのかがイマイチ分からなかったのですが、日本の師匠に電話をしてその事を伝えると、「音を入れてからの押しが弱いからや」と言われました。 要するに師匠に言わすとすべては“音”だという事です。そして音でもって勝負しないと意味がないという事です。 もっともっともっと音を練りこんでいかなければならない。 次へ向けて。

きたやまの絵 第二だん

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さて僕のソロコンサートが近づいてきました。 コンサート前にどうしても彼の絵を見て “何か” を得たいと思ったので無理を言って書いてもらいました。 僕の感想の前に彼の説明をメールから直接引用させてもらいます。 タンポポ→柿谷(笛も含む) 太陽→温かいものの象徴 見えにくいかも知れないけど、 太陽の赤い光はうすーく全体に広がっています。その太陽(自然) の恵みを受けて柿谷自身が大地に立ち、 根っこから様々なエネルギーを吸収して、 鮮やかな華を咲かせるというわけ。 そして、 華の周りを包んでいるもやみたいなものは柿谷がそこに居ること( 笛を吹くこと)によって生み出されるもの。 あえて笛を描かなかったのは、柿谷は笛吹きだけど、 笛を吹いている時だけが笛吹なわけじゃなくて、 たぶん年がら年中笛のことを考えてるんじゃないかと勝手に思った んだわ。だから、 極端に言うと笛を吹いていなくても柿谷自身から音はでてるんじゃ ないかなと思ったわけ。 つまり、柿谷には、 自然体でいて欲しいと思いこの絵を描きました。 僕の感想です。以前にも書きましたが僕は絵に関してど素人だし何がいいのか悪いのかさっぱり分かりません。ただ感じる事は出来ます。特に彼の絵からは。 最近僕が感じている事は、こちらNYで色々な人に合って僕の考えなどを話して言われるのは、 「まあ一人ではきびいしいよね、、、」 ってほとんどの人に言われます。おそらく彼らはソロだけでは無理だよと言う意味だと思うのですが、僕はそうは受け取りません。僕は自分がもしほんまもんであれば、必ずソロでもできると思ってます。だからこれを言われた時は、{もちろん自分の力だけではできない、みんなに支えられて、協力してもらい、又エネルギーをもらってやって行くんだ}と自分に言ってます。決して高慢にならぬよう、みんなに感謝して。 そしてこのきたやまの絵に関してですが、大地や太陽からエネルギーを得て僕がそれを音にしていくという感じが、僕にはすごくこの絵から得ることができる。そういう意味においては一人ではやっていく事ができない。改めてこの絵を見て再確認した。 そして一人でもやっていけるという事の再確認もできた。もちろんみんなと繋がって。 タンポポの顔が太陽に向かっているのが僕にはすごく心地よい。

親友の父

  先程日本から僕の高校からの親友の父が亡くなったという知らせを受けました。 もし自分の父だったらと考えると、もちろんNYにいる事は難しくなるでしょう。人にはそれぞれこの世での持ち場立場があり、ある意味その持ち場立場は避けて通る事ができない。これは一般的に言われる運命は変えられないという意味においての消極的な考え方ではなく、むしろ積極的な考え方である。 彼の父には彼の父の天命があり、彼には彼の天命があり、僕には僕の天命がある。 大事な事は全うする事だと思う。29歳の半端もんがほんとにえらそうな事を書いているのは承知であるが、彼は僕にとっての雅楽の唯一信頼できるパートナーであり、心から話合える友人だからあえて思う所を述べている。 彼の父が亡くなる直前医者から「今どんなに思ってますか?」という問いかけに、彼の父は痛み止めの薬で意識が朦朧としながらも「まだまだ人様のお役にたちたいと思っています。」とはっきりと答えたそうです。 そして彼のメールには “父は 残された者への筋道をしっかりと残してくれました。”とありました。 亡くなる直前の人の言葉はその人の人生の本音の部分を物語っていると思う。 彼の父が人生を全うした事は間違いないし、その思いを彼は彼のスタイル、彼の天職によって父の思いを引き継いでいくであろう。 僕はまだ両親共に健在であるから彼の気持ちには決して届かないが、僕にも必ず来る話である。 日々たくさんの方々に支えられながら生きているという事を忘れずに感謝して懸命に努めたいと思う。 友よ!!

JUILLIARD SCHOOL CONCERT

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JohnAdams さんという方の曲が、ジュリアードの学生さん達によって演奏されるという事で見に行ってきました。かなり有名な方らしいのですが、僕はそっちの方は疎いので知りませんでした。 今日も笙吹きマイケルさんがFREEチケットを用意してくれたので他コロンビアの学生さんと行ってきました。 バイオリンから龍笛へのインスピレーションを少し頂いた気がします。なんといますか、あの時折切れそうだけど、絶対切れない音と言いますか。。。 とにかく彼らはほんとに巧いです。

今日の龍笛稽古

今日は久しぶりに一日家で過ごしソロコンサートに向けてのプログラム作りと笛の練習をしてました。 吹いてて気づいた事を書きます。 今回のコンサートでも伎楽や、日本、アメリカの童謡などを演奏するのですが、童謡はまだしも、伎楽などの指が早い曲になればなるほど ”音の真” が外れやすくなるという事です。 だから必ず曲を吹く前には、一音をしっかりと出す練習をしなければなりません。この練習をほとんどの人が怠るから曲を吹いたときにも音が生きてこない。大事な練習は曲を吹く練習ではなく、音を作り出す練習であると僕は思います。そして指の早い曲は一つ一つ音の移り変わりを意識しながら、ゆっくりと吹く練習を初めにしなければならないという事。。音がでないから曲が吹けないのです。 とにかく丁寧な練習。 決して僕は物事に対して丁寧な人間ではないので、ここから学ばなければといつも思っていますがなかなかです。 そして以前にもこの事には少し触れましたが、音というのは、僕の今現在の理解で述べると二つから成り立っています。一つは真、所謂 “絹” の部分であって、もうひとつはそれを囲む音。ほとんどの笛吹きの音には真がなく、それを囲む音だけ出している。だから人に、 “ 龍笛の音 ” が伝わらない。 僕の今のコンサートに向けての稽古はその絹を練りこんでいく練習です。強く、柔らかく、極限まで細く繊細に、且つ滑らかに。絶対に切れない絹をイメージして。 龍笛というのはこの “ 絹の振動 ” なのです。 はっきりいってこの稽古はかなりしんどい事です。なかなかイメージに近づきません。 言いたい事は、龍笛は音全体を管に対して振動させるというイメージよりも、真ん中の絹を振動させるイメージです。 さて、本番というのは実力の半分出せたらいいと僕は大学の時から思っていましたが、自分の本番への追い込みのかけ方によっては、本番にしか出せない音が有るという事に最近気づいてきました。二度程経験した事があります。おそらく極限の緊張状態を保とうとするからだと思います。 新しい自分の音に本番で出会いたい。

コロンビア大学生達の雅楽コンサート

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今日は彼らの今期のセメスターの締めくくりとしてリサイタルが行われました。 場所は大学の構内の建物で、写真は演奏前の準備です。 僕はホストマザー、ホストファーザーと共に打ち物をさせてもらいました。演奏中は多少のハプニングがあったもの上々の出来栄えだったと僕は思います。アジアで生まれ、日本で何百年もかかって日本人の精神と共に築き上げられた芸術を西洋人が数カ月の練習で演奏するのですから。 なにわともあれ彼らは雅楽を楽しんでます。ここが一番大切な事です。 話がごろりと変わります。こんな会話を小耳にはさみました。 A:彼雅楽やめたんだよ。。 B:え、なんで?? A:実家に帰った時に雅楽は役に立たないからだって、、 B:あそうなんだ残念だね、、。 明日の生活がかかってる人が世界中にはたくさんいるのも事実であるが、雅楽をするとかしないとかではなく、こういう尺度で人生を選択したくないと、この時は心から思った。 あ、それと昨日はNJは雪でした。こっちきてからは僕にとっては初雪です。

セメスター終了~さて本腰いれて龍笛練習~

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昨日で秋のセメスターが終了しました。最後課外授業みたいな感じでクイーンズにあるMOMAmusiumに行きました。この建物はもと小学校だったのが改良されたようです。 最後だったので10人も学生はいなかったと思います。 まあそれなりに楽しめました。ほとんどがコンテンポラリーで時には理解不能の物があります。新聞が部屋一面に散らばってそれにただペンキが塗られているとか、、、???伝わる人には伝わるのでしよう。。 この下の写真はなんだか分かりませんよね??歩いていたらフロアーに小さなカメラが埋め込まれていて中で女性が叫んでいました。。HELP!!みたいな事言ってたような、これには笑いました。 夜はコロンビア大学でのでの雅楽クラスに教えに行ってきました。彼らも今週の日曜日には今季のセメスターの締めくくりとしてコンサートを控えています。 さて僕自身も龍笛ソロコンサートに向けて本腰を入れていかなければなりませんが、今日は死んだように午後過ぎまで寝てました。起きてから2時間程練習。 今日もいつもと同じように、とにかく一音をしっかり出せるようになると、一つ一つ、一瞬一瞬の音を体全体で感じながら集中して息を入れるという事に意識をおいて稽古しました。吹くというよりも丁寧に音を挿入していく感じですね。この意識の仕方で音は間違いなく変わって来ると思います。 何度も同じような事を書いてますが、ただボーっと吹くというほど龍笛を練習する上において意味のないことはないです。今はこのイメージでこういう風な練習をしているのだという事を常に意識しなければなりません。 さてどこまで自分を追いつめられるだろうか。

書く。とにかく書く

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最近何か新しい事をしてやろうといつも考えています。 しかしながらある時気づきました、言葉で考えないと意味がないという事に。 龍笛の音を考える時は文字ではどうもならない時がありますが、その他は文字で考えるようにしてます。だから最近決めた事はペン一本は必ずポケットにいれて、 ノート はカバンにいれない。持ち歩く。 ちなみにペンはこれです。伸び縮みして便利です。 三菱鉛筆 油性ボールペン ジャンポップ JUMPOP M5-280 黒 何か思いついたら必ず立ち止まって書くようにしてます。 アナログ人間がさらにアナログ人間になってるような気がします。

枠にはまる、はまらない

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おもしろい 記事 を読みました。 世の中にはどうしても枠にはまろうとしない人間がいる。 それが良いのか悪いのかわかりませんが、認めてあげないとだめですよね。 NYはその枠をとっぱらった人間が多いというのは間違いない。 僕もある意味あやかりたい。