龍笛の吹き方~⑥


昨日まで奈良の方へ行ってきました。


27日はTOEFLを京都外大で受けてきました。あいかわらずさっぱりです、、、というような呑気な事言ってられないのですが。。

渡米まで残すところ約2か月となり、笛においてはもう一段上に上がっておきたいところですが、そう思うようにはいきません。しかし毎月確実に自分の進歩を掴んでいます。

僕はこのタイトルのように、これまで“龍笛の吹き方”と題した5つの文章を、“吹き方”と言いきって書いてきましたが、自分としては、まだ完全に笛というものを掴んでいるわけではないので、このような断定した書き方は良くないかもしれません。しかし僕は“吹き方”と題し、師匠から習った事を自信を持って書ける大きな理由あります。

それは師匠が“作らない音、自然に出てくる音”というのを常に考え方の底辺においており、しかもそれをこの人は求めて作り出した、自分で編み出した、というよりも自然な生き方をすることにより、勝手に生れたきたというような具合で体得しているからです。龍笛と“人間”が力強く密接しているという点が、僕が自信を持ってこのように“龍笛の吹き方”と題して師匠の理論を述べることができる所以です。芸術というのは人間の感性と共に育まれたきたものですから。

さて本題です。

今回僕が学んで、笛吹きの方にお伝えしたいのは、“注意力”です。前回の龍笛の吹き方においても、一つの事に意識を集中させて付箋を使い練習するということが、非常に重要であるという事は書きましたが、今回はもう一段高いレベルの話です。

師匠は、自分が笛を吹いている時、自分の息(風)を体で感じるとることができ、息筋が見えなければ駄目で、笛の中に息が何処を通ると、どんな音が出るのかを自分で体得し、“理解”することが必要であると言います。
ですから、どんな笛を吹いても、すぐにその笛の真を捉え、笛が自分に合う合わないではなく、自分が笛に合わせ、その笛の最大限の音を出さなければならないと言います。笛は生き物ですから、機嫌損ねないように。。。。と言いつつ「この笛あかんわ、、、」と言って放ったりしてますけど。。

三日間毎晩通ったのですが、このことを初日に言われ一晩考えこねました。

最近僕が毎日の座禅で意識していることは、息を吐き出す時に自分の息の振動を感じるということです。これは意識を自分の体の中の細部に集中し、最大限に、特に上半身の力を抜いて行います。そうすると体の中の僅かな揺れを段々と感じる事ができます。

これを笛に応用します。まず笛は体であり、吐き出す息が笛の中で、体と共に振動し、その揺れを感じようと努めることです。“注意力”を働かせ息筋を感じようと努めることです。これは決して特別な才能や、天性のものではなく、ただただ、真剣に“注意力を”働かし、訓練することで出来上がってくるものだと思います。いえ“気づく”のだと思います。まだ気づいていない僕が言うのも、、ですが、。


少し話が逸れますが、初日、僕が師匠宅で練習していると。後輩のTOMASが嫁さん連れて結婚の報告に来ました。彼も龍笛吹きで、今は小学校の先生をしているとのこと。その時師匠が彼に少し話をしていたのでそのことを少し書きます。

師匠:「TOMAS、学校の先生といいうのは経験が必要や。色んなことを経験せないかん。でもそれはな、なにも、遠い所や誰もが行ったことのない所に行ったことがあるというのではなく、その辺の堤防歩いてて、花が咲いてて、虫がいて、それを見て感じたことを子供に話したらいいんや。子供心になって同じ目線に立って話をするんやで。この感じることができるということが“経験”するということで、一瞬一瞬その時に何を思うかが重要や。笛を吹くというということは、その感性と経験が必要なんや。」

うちの師匠は言葉使いは少々荒いので、現場の空気はやや荒れ模様です…。

なるほど。。。


僕は龍笛を吹き始めて15年くらいになりますが、未だかつて、楽しいと思ったり、気持よく吹いたという感じを持ったことはありません。それは常に自分の音が、イメージの音とかけ離れているからです。

しかし、この最初に述べた、自分の息の振動を自分で感じ取ることができ、息筋が見えるという段階に至ることができれば、少し、笛を吹くことが楽しくなるかもしれません。“自由”という領域に片足突っ込めるかもしれません。

八月いっぱいまでの僕の課題です。

それと最近読んで面白かった本があるのでお勧めします。宗教をする人、芸術をする人、毎日が忙しい人、暇な人、世の中を五感のみで捉えようとしている人。またそうでない人。ぜひ一読を。




柿谷貞洋



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