龍笛の吹き方~④



龍笛記事を続けます。


昨日まで笛を習いに、教えに、また留学の手続きなどで神戸、大阪、奈良と行ってきました。


梅田駅では8割方の人がマスクをしており、実際見るとテレビで見るより異常な光景でした。自分がもらってないのを祈ります。


今回は、僕の同級生や後輩が今晩(25日)、とある雅楽の演奏会に出演するために、リハをするというので23日の晩、母校の練習場へ見にいってきました。ほとんどがOBといえども、まだ現役上がりのばりばりであり、演奏技術はかなりのもので、群を抜いて他の雅楽団体に比べてもトップクラスであることは間違いない。

しかしただ一つ足りないものがある。“気”が足りない。先輩面して偉そうに書いているわけではなく、本当にそう感じた。大事なことは、基本的な拍子や音程を除いて、お客さんの心に何を残せるかである。見に来てくれた方々に‘上手だったね’‘きれいな装束だったね…’などの感想ではなく、なんとも言葉では言い表せない深い跡を植え付けなければならない。芸術作品なのであるから。

そのためには個々人がもっと雅楽に対し、素直に真剣にならなければならないのである。ここがすべての基本であり、しかも合奏になると全員が同じ高い気持ちを持ち、初めてメッセージが伝わる。逆にいうと、今回は13人位で演奏していたが、みんなが同じ気持ちを持つとすごいものが伝わるのである。


少し感じた事を書きました。




さて、それでは僕の龍笛の話です。


滞在中は師匠宅へ毎晩稽古に通い指導してもらいました。言われることは唯一つ、

「吹こうとするな、自然に音がでるんや、おまえはまだ音を出そうとしてる。」


音を出すために、音を鳴らすために息を入れる。普通ではこれが当たり前であるが、ここではこれが禁止されている。息を入れたら駄目なのである。自分が風になり、勝手に竹に風が当たり、それが自然に音になる。。。僕は決して詩を書いているのではなく、現実の事を書いているのである。そして現実に師匠は僕の眼の前でその音を奏でている。。


師:「なんで自然に吹けんのや、なんで不自然なことするんや、いらんこと考えるな、まだ息を(意識的に)入れてる。」


柿:「はい、、、」


~僕が吹く~


師:「あかん、息入れとる。もっと力抜け」


~僕が吹く~


師:「あかん」


………。。


だいたいいつもこの繰り返しだ。。。


今この文章を書きながら考えているが、答えは僕の見えている視界には存在していない。全く別次元のところにおそらくある。これは相肩に3年くらい前から言われ続け、最近やっとこの意味が分かってきた気がする、たぶん、、、


だから自分の音のイメージを常に捨て続けなければならない。眼の前に師匠の音がありながら、無意識に自分の音を作り出しているのだ。どうしても‘我’が入りこんでしまっているから、自分の殻からなかなか抜け出せない。極端な例を述べると、答えは地球にはなく、火星にあるのに、僕は一生懸命地球の中を探している。。。完全に死角になっている。


‘個性’と‘我’はよく混同されるが、僕が師匠に習った個性というものは自然の中に存在するものである。自然に吹くことができ、自然な生き方ができ、やっとその人間本来の個性の音が出てくる。僕のような凡人が音を自ら作り上げてしまうとそれはただの癖になってしまう。


もっともっと自分の音や、吹いているときの心理状態、体を注意深く客観的に観察し、自分の我が出ていないかをチェックしなければならないと思う。


今回は龍笛の吹き方というタイトルにはそぐわないかもしれないが、‘気を込める’ ‘我を捨てる’というのはすごく大切なことであると思ったので、このようにした。


柿谷貞洋

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